41歳の誕生日、朝からたくさんのお祝いの言葉をいただきました。コメントも、DMも、贈り物まで。本当にありがたいことです。その一方で、以前から誕生日のメッセージで気になっていたことがありました。

毎年、全く同じ文面のDMを送ってくる人がいたんです。最初の年は「ありがとうございます」と返しました。でも、途中から僕が返事をしなくなっても、同じメッセージが届き続ける。もう6年くらいになるでしょうか。

「これ、プログラムで組んでるのかな?」と思ってしまうくらいです。お祝いの言葉なのに、僕に向けて話しかけてもらっている感じがしない。なんだか社交辞令だけを受け取ったような気持ちになりました。

お客様や仕事で知り合った方へ、お祝いのメッセージを送ることもありますよね。そのとき、「送ったからよし」で終わっていないか。僕が受け取る側になって考えたのは、お祝いの目的を見失わないことでした。

お祝いの目的は、相手に喜んでもらうこと

誤解してほしくないのですが、お祝いのメッセージは、ほぼ全部嬉しいんです。同じ「誕生日おめでとうございます」でも、嬉しいものは嬉しい。言葉が同じだから駄目、ということではありません。

ただ、ときどき「この人は、お祝いする気はないんだろうな」と映ってしまうものもあります。相手を祝うことより、そのメッセージを送って自分が得られる利益のほうに関心がある。そんなふうに感じられてしまうんです。

「そんなつもりじゃなかった」と言っても、相手が不快になったという状況は変わりません。どういうつもりで送ったかと、どう受け取られたかは、別なんです。

誕生日を迎えた人へ「おめでとう」と伝えるのは、お祝いの気持ちを届け、相手に喜んでもらうため。そのための手段が、メッセージなんですよね。

オデッセイ好きの僕に届いたプラモデル

言葉以外のお祝いでも、印象に残っていることがあります。僕はオデッセイという車が大好きです。会社員時代、お客様が乗っていたオデッセイがめちゃくちゃかっこよくて、「次に買うなら絶対これがいい」と思ったのが始まりでした。

実際にオデッセイを買い、その次の買い替えでも、またオデッセイ。同じ車から同じ車に買い替えるくらい、好きだったんです。

その誕生日に、オデッセイのプラモデルをいただきました。作るべきか、それともパッケージのまま飾るべきか。そんなことで迷いながら、ありがたく受け取りました。

僕の好きなものが、贈り物として届く。「おめでとう」の伝え方は、メッセージの文面だけに限らないんですよね。

一人で過ごすつもりの誕生日に、仲間と会う予定ができた

その誕生日には、もう一つ、嬉しい予定がありました。もともとは、仲間が新しくお弁当屋さんを開いたお祝いに、みんなで飲みに行こうと計画していたんです。何か月も前から話があり、それぞれの都合を調整していました。

そうしたら、たまたま決まった日が、僕の誕生日でした。新店舗のお祝いに加えて、僕の誕生日も兼ねてもらうことになったんです。東京から来てくださる方もいました。

僕は一人で岐阜でゴロゴロしていようかなと思っていたのに、名古屋で仲間と飲む予定になった。「なんかパリピみたいな誕生日だな」と、自分でもちょっとおかしかったです。場所は普通の居酒屋なんですけどね。

特別な文面を用意することもあれば、好きなものを贈ることも、一緒に過ごすこともある。手段は違っても、相手を祝うという目的へつながっているかを考えると、選び方が変わってきます。

メッセージ、贈り物、集まる時間は、お祝いの気持ちを届けて相手に喜んでもらうための手段

自分の目的があっても、相手が喜ぶことを考える

お祝いをきっかけに、お客様ともっと親しくなりたい。仕事で知り合った方と、今後もお付き合いを続けたい。そういう自分の目的を持つこと自体を、僕は悪いとは思っていません。僕自身、結構したたかに動くタイプですから。

そのうえで、「相手は何をしたら喜ぶんだろう」と考える。自分の目的のために、相手に喜んでもらう。それでいいと思うんです。

今あるお客様とのお付き合いの中で、お祝いのメッセージを送るときは、その人が喜ぶことを考えてみてください。お祝いの気持ちを届けるという目的に対して、その伝え方が合っているかを見直すんです。

毎年届く同じDMに僕が感じたのは、「おめでとう」という言葉そのものよりも、こちらとのやり取りがなくても送り続けられる違和感でした。自分が送る一通では、相手に何が届くのか。「送った」で終わらず、そこまで考えてお祝いしたいですね。

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